国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)は、障がいのある方も、ない方も、
すべての人にご利用いただける施設です。障がい者が主役の芸術・文化・国際交流活動の機会を創出し、
障がい者の社会参加促進をめざします。施設内には、多目的ホールや研修室、宿泊室、レストランを備えています。
プロジェクト
2024年8月24日大阪大学中之島芸術センターにて、「ビッグ・アイ アーツセミナー×阪大 みえない世界を表現する中川圭永子の世界」を実施しました。
参加者は、健常者、視覚障害者や精神障害者を含む多様な方々で、ゲームやアクティビティを通して交流を深めました。障害に対する理解を深める貴重な意見が出され、お互いを尊重し合うことの大切さが再確認されました。中川さんのお人柄で、会場内は終始笑い声に包まれました。
セミナー概要
日時 | 2024年8月24日(土)14:00~16:00 |
場所 | 大阪大学中之島芸術センター |
ご挨拶
中川「こんにちは。中川圭永子と言います。
はじめましての方もそうでもない方も、名前だけは憶えて帰ってくださいね。ここに来てはる人はご存じですが、視覚障害者なんですね。まず、私の見え方の説明をします。真っ白です。これ私の特技です。見えてないです。笑うとこですよ。黙ってシーンとされると、一人で喋ってる気分になるんです。全く見えないので、拍手してもらえると、今日はたくさん来てはるなあとかわかるんです。(拍手)なんでもいいんです。おもろないときはおもろない、おかしいときはワハハと笑ってもらえると、反応あったほうが、今日はいてはるねんなとわかるんですよ。(笑)
大阪のおばちゃんのど根性物語を語れと言われましたが、ご覧のように繊細でおしとやかな(参加者より拍手)ありがとう。ありがとう。気を遣わせて。 (笑)お話しの後、休憩10分はさみまして、演劇をツールにしたワークショップをやってもらおうと思っています。難しいことはないんです。演劇とは、ごっこ遊びなんですよね。皆さん、お医者さんごっことかおままごととか、やらはったでしょう。怪獣ごっことか。あれも演劇の大元なんですよ。だから、ハードルをぐっと下げていただいて、後半は「ごっこ遊び」をするんやなあと思っていただければと思います。」
大阪で過ごした幼少期のお話の後、大学卒業後、入団された劇団3OO(渡辺えりさん主催)での新人時代の初期症状についてお話されました。
中川「吉祥寺のバウスシアターで、劇団3OOの初舞台だったんです。リハーサルで、新人だから、(舞台上に)椅子をセットすることになりました。「転換」って言うんですけど。真っ暗になると、わからなかったんですよ。稽古場は明るいから、普通にポンと置けたんですけど、リハーサルは本番仕様なので、真っ暗になるんですよね。なんで私、真っ暗見えへんねやろって。そのときはわかんないんですけど、そのころから、目の病気の兆候が出てたってことなんですよ。先輩に怒られてね。「中川―!お前、なんであんなとこ行くねん!」って。椅子の向きが、反対。でも、言い訳できなくて、「見えなかったんですよ」なんて、口が裂けても言えないからね。明るいところで、よし、こう、前にこう行って、右に行って、ここやなっていうのを、何回も何回も体に覚えさせて、やったんですよね。それが最初だったかなあ。
私の目の病気は、暗いところ、鳥目の症状が出るっていうのがあって、同期に、「私、真っ暗で見えへんねんけど、みんな、なんで動けんのかな」って、言いもって、袖に引っ張って行ってもらったっていうのが、今から考えれば、症状が出てたんだなあ、と思うんですよね。」
その後、「網膜色素変性症」が発覚します。
中川「網膜の病気で、物を見る視神経、視細胞、網膜が、死んでいく病気なんですよ。だから、視野がだんだん、だんだん狭くなっていくんですね。で、ゆっくりゆっくりゆっくり見えなくなっていくので、自覚症状がほとんどないんですよ。ゆっくりゆっくりゆっくり。だから、中学から演劇やってたときは、自覚症状が全然なかったんですよね。当然、暗転になっても、みんなと同じように、行ってたのに。劇団入って、デビュー作、2本目でもそうなって、なんでかな、なんでかなって、その時もわかってないんですよね。
それで、トンと話は飛びますが、結婚・出産を経験するんです。35歳の時に2人目産んだ時に すっごい体に負担が起きちゃって、つわりがひどくて 切腹流産 切腹早産みたいなので、ガーッと体に負担が来たんでしょうね。次男を産んで、しばらくしてから、目を開けたらなんか暗いんですよね。見えづらいなと思っていたら、目ばちこができてたんです。で、 大阪の町医者に行って、「目ばちこできたんでなんかすごい見えづらいんです」って言うたら「中川さん東京行ったら大きい病院を紹介するんで 一度検査を受けてください。ひょっとしたらなんですけど網膜色素変性症かもしれません」って言われてね。そんな聞いたこともない名前やろうと思ったら、細胞がだんだんだんだん死んでいく病気でって言われてショックですよね。うわぁ、どないしょうかなと。
で、東京でその当時一番日本で、網膜色素変性症の研究が進んでたと言われてたのが 順天堂大学だったんで、詳しい先生に、診てもらったら「網膜色素変性症ですね」って言われました。なんのこっちゃわかれへんし、ゆっくりゆっくり進んでいくから「すぐには見えなくなるっていうような病気じゃないです」と言われても すごい不安なわけですよね。
産後の肥立ちもあんまりよろしくなかったので、ストレスがたまってしまい、朝、目 覚めたら見えへんようになってんちゃうかとか思い、パニック障害を併発してしまいました。子供2人おりますし、どうやって2人目とか育てたかなって記憶ないですよね。今でこそこんな元気なんですけど。どうしたって1回ガーンと落ち込みました。うわ、どうしようって 子供育てられるかなって。こんなお母ちゃんでええんかなって子供たちに負担かけるんちゃうかなっていうような思いもありました。」
そんな中川さんに「救いの言葉」がかけられます。
中川「その時、いい方々に出会ったんですね。保険師さん。子供が生まれて1か月とか半年後ね自宅訪問っていうのがあったんです。「病気はね 半年経ったら受け入れられますよ」って言ってくれはりました。うそやん! と思いましたね! これから目みえへんようになるかもしれへんのに。そんなに言われてもって。次男が生まれたばかりの1か月、ピーピー泣いてる息子がいるのを、保険師さんが「今はね、このピーピー泣いてる赤ちゃんが、いつかあなたを助けてくれると思いますよ」って言わはったんですけど。もうほんまに正直言いますよ。うそやん! と思いますよ。でも、2つほんまでした。半年経ったらね。受け入れてるんですよ。自分の病気。見えへん自分を受け入れてるわけじゃないんですよ。網膜色素変性症という病気になったっていう自分を受け入れるんですよ。信じられへんかったっていうのがね。ほんまやな。半年経ったら受け入れられるんだよなぁって思ったんです。だからといって、今みたいに全然見えないわけじゃなくて、その頃、15度見えてたんですね。15度って日常生活をするには、あんまり困らない範囲なんです。上向いたり下向いたり、横向いたりしたら、視野が広がるわけやから。」
2024年、中川さんは、NHK土曜ドラマ「パーセント」に出演されました。NHKドラマ「パーセント」
中川「最近、NHK土曜ドラマ「パーセント」にね、出させてもらったんですよ。いろんな機能障害を持った方々が、本当に障害当事者として出たドラマだったんですよ。前年の7月にオーディションがありました。今までオーディションっていうと、心身共に健康な方っていうのがありますでしょ。昨年のオーディションは、障害のある方、持病のある役者さん募集だったんですよ。ストレートに。で、知り合いにこういうオーディション受けますかって言われたときに、いや、私が受けんと誰が受けるん?って、本当に言っちゃったもんね。だって、白杖を持ちながらもね、35年やってきたわけですから。NHKさんも、東京と大阪との2カ所でオーディション100人集まったそうです。それだけいてはるんですよ。障害を持ったり、持病を持った人で、表現活動してはる方が。私らの年代で、やっぱり視覚障害があって舞台に立つっていうのは、大きなハードルで、隠してやってはる人が多いな、私の周りでもいてはったんですよね。やっぱり言えない土壌があったんですよね。だから、私もそういうドラマとか映画に、まさかそういうところに行けるなんて、出られるなんて思ってもいない。自分で企画して、自分でこの指止まれやらんと自分の表現活動はないなと思ってたんでね。時代は変わってきたなあと思うんです。
多様性やLGBTやとかね。私、元々ミナミに住んでたからね、多種多様な人を子供の時代から見てるんですよ。すぐそばに本当に寝たきりの発達障害のお母さんにいつも抱っこされて、生活してる女の子がすぐそばにおったし、学校行っても一緒に受けられる授業とかもあったんですよね。美術とか体育とかね。今はもう完全に分離されて。もっと言うと、夜は綺麗なお姉さんになるのに、昼間はもっさいおっちゃんを見てたの。うちの母が「けえこ見てみぃあの人がなんとかのママやで」って。夜は、髪、上手く綺麗にアップして着物着てスッとした。梅沢富雄さんみたいな感じですね、女性同士に付き合った人とかも、お風呂屋さんに行ったら居たはったりしたから。そういう意味では、私自身のハードルも低いんですよ。男の人と女の人っていう性別をふたつだけじゃないっていうのをちっちゃい頃から知ってたっていうのもあって、私は白杖を持って舞台に立つのにそんなに抵抗なかったのかなとは思うんです。だけど、メディアなんかに出られると思ってなかったから、オーディション受けた時に「中川さんこれからはドラマとかに出る気持ちありますか」って聞かれた時に、出るも出ないも、私はそういう風に思っていて、出られると思ったこともなかったし、本当に感謝したいのはこういうオーディションを開いていただいたことです。こういう場を作っていただけたことに本当に感謝したいですって言ったのを覚えてるんです。クランクアップの時にも生きてる間にこの現場に出会えて私は幸せと、言いました。」
【ワークショップ】
前半で中川さんの半生をお伺いした後は、演劇ワークショップを行いました。
視覚障害者や精神障害者を含む多様な参加者に向けて、ゲームやアクティビティを通して、交流し、楽しい時間を過ごすことができました。
最後に質疑応答を行いました。
Q:自分の劇が伝わってるんかなと思う。中川さんは目が見えないのに、お芝居やりながら、どう図っているのか。
A:それは、温度や空気感なんですよね。顔は見えないんですけど、1回1回違うんですよ。客席ってね。緊張してる空気の時もあるし、もう私を全て受け入れてますよっていう空気の時もあるんですけど、それが舞台に出た時にね、わかるものなんですよね。これは説明しようがないんですけども。
Q:視覚障害の障害をお持ちの方と、精神障害をお持ちの方、両方の精神と視覚の障害をお持ちの方と、周りにいらっしゃいますか?それはどういう症状なのですか?
A:症状まで詳しくは伺ったことはないけれども、私自身もちょっとパニック障害も出たりするので、今は落ち着いているんですけどもね、自分自身のことで言ったら、過呼吸か。過呼吸で救急車に運ばれたことがありますね。
Q:視覚と精神の障害をお持ちの方は、どのような支援を受けることがいいと思いますか?
A:支援や行政とかと繋がるのもいいと思いますね。特別な、そういう専門の知識がある人と、まず繋がるといいんじゃないかなと。自分の経験からも。専門機関、ちゃんとしたお医者さん、自分自身で抱え込まないで。まず、それは私の経験上ですね。私自身の生活のクオリティが上がりましたので、情報も入ってきますし、そこから繋がっていける、同じ患者の会とかもありますから。これはもう、あくまでも私の経験ですけれど。
Q:私も、中川さんと同じ病気なのですが、けえこさんとお芝居がしたいと思ったらどうすればいいですか。
A:第三者は必要だと思います。まずセリフを覚えるのがお互い大変なので、ボイスメモを使うなりしてお互いセリフは覚えなきゃいけないけれども、第三者、私たちの動きだとかを見てくれる、私たちの目の代わりになる誰かは必要だと思いますね。お客さんの目になってくれる人が。ではないかと思いますね。
Q:私は可愛いっていう感情を研究をしています。見える人が前提で可愛い画像とかを見てもらって、そのときにどう感じたかみたいな実験したりするんですけど、それって見える人だけの世界だなってずっと思いました。中川さんの見えない世界の中で、可愛いっていうのはどういうものに対して、どういうときに、どんなふうに感じるかっていうのがあったら教えていただきたいです。
A:はい、私は中途障害なんですね。これ大きいんです。生まれつきの見えない方と中途障害の方って、私は見えてた時期があるので、例えば、お花ね、マリーゴールド。目の前にマリーゴールドが咲いてますって言われたら、お花見てそういうのが浮かぶから、可愛いお花やねっていうのが想像できるんですよ。だから、生まれつきとそうでないっていう方とは全く別だっていうのをまずお話ししないといけないなと思うんですね。私は、ここからも私自身の話ですけど、中途障害ということで、見えてた時のことを具体的に言葉にしてもらう。赤い、触ると柔らかいお花がありますよって言われて、実際に触らせてもらう。それで自分の頭の中でイメージできた時に、あっ、可愛いっていう言葉が自分から出てくる。場合と、声ですね。赤ちゃんの声とか、誰が聞いても可愛い声があるじゃないですか。泣き声でも可愛いじゃないですか。大人が泣いてたらうるさいなって。赤ちゃんが泣いてたらね。これも経験上になっちゃうんだと思うんですけども、声ね、泣いてても可愛いって感じ。音ですね。可愛いと思える音、声っていうのもあると思うので、そこだと思いますね。
Q:家族に同じ病気の者がいるんですけれど、今、進行途中で、一番困ること、一番必要なこと、家族でできることがあれば教えてほしい。
A:同じ病気でも個人差があるんですよ。病気の受け入れ方とか、進行具合で違うとは思うのですが、あくまでも、私の話として聞いてほしいんですが、目が見えなくなっていく状況で、周りの人たちが、急に、子ども扱いするんですよ。それが一番、私は歯がゆい。今、見ていただいてわかるように、移動するのは、支援していただかないとダメですけど、なんていうのかな、人としてちゃんとしゃべれるし、具体的なことを言うと、靴紐がほどけてたとき、「靴紐ほどけてますよ」って言うてくれたらいいんですよ。自分で結べるから。だけど、「靴紐、ほどけてるから、結んであげる」これはいらないんです。自立できるから。あと、笑い話ですけど、カーディガンを着ていて、おしゃれで、一番上のボタンを開けていたんですよ。私なりの。そしたら、年配の方が、「ボタン外れてるよ」ととめてくれるんですよ。それはいらないでしょ。聞いてって思った。ニュアンス伝わってますかね。これ、高齢者もそうですが、年をとったとたんに、子ども扱いされる。例えば、座ってるとね、横にひざまついて「大丈夫」って聞いてくるんです。この私に!もうね、私の時ほんまカチンときてね、手払いまして、「ちょっと普通にしゃべってくれへん?」って言いました。でもね、そういう方は、多いんですよ。ちゃんとね、人権っていうのかな、固い言葉で言うたら。ちゃんとして一人の人間としてね、尊重して欲しいんですよ。見えなくなっていく中でね、不安ですけどね。それで、あとね、個人としては、さっきも言ったけど、見えてるうちにやり残しがないように、やりたいことはやっておいた方がいい。今は、車の運転免許絶対取れないし。やっといてよかった。思い残すことがないからね。ご本人が望むことであれば、やりたいことをやっておく。あとね、私やっぱりね、旅行行っとけばよかったと思って。もう、行ったってもう真っ白やから、沖縄の青い空も感じられないわけなんですよ。本当に、見えてるうちに、ご本人の悔いのないことを。
Q:今もうめちゃくちゃ元気にされてるから、あえて聞くんですけど。どんどん見えなくなっていく過程、恐怖が、あったと思うんですよね。それを、どんどん受け入れていくときの怖さをどういう風に解消する、誰かが言って話聞いてくれたから、それで、だんだん落ち着いていったとか、どんな過程で何があったのかなっていう。
A:ほんまにね、今はこんな笑い飛ばしてますけれども、すごい、いちいち傷つきました。やっぱ凹むしね、分からんと思うけど、いちいち凹むし落ち込みましたね。あとね、私と同じ病気の方で、先輩の方々もおられるけど、見えなくなってからの方が楽になったっていう言葉が私信じられなかったんですよ。でもね、ほんまです。見えなくなってからの方が楽。何かっていうと、変に見えてるとね、白杖持ってるのとか、こう見るのよ。上から、下から。この人、目、悪いんやなあって。そういう人の顔見るのが辛い。私だけ違う世界にいるのみたいな。自然にね、そうなっちゃうんやと思うんやけども、もういっぱい泣きましたよ。悔しかったり、何くそーと思ったりね。だけど、何がきっかけっていうことでもなくて、やっぱり時間やったり、自分の症状を受け入れるとか、性格のこともあるんやと思うんやけど。あと、やっぱ芝居が好きやから、そこに頼ったっていうんじゃないけど、もうね、あの、何もできない。芝居はほんと何もできないからね。いろんな日常、買い物行くとかでもね、一歩外に出るのはサポートいるんやけど、芝居だけはほんとに、私を裏切らないし、表現するっていう、こう、グッと軸になるものがある。今はほんとそれだけをやっていられるっていうのは、強みになってるのかなと思いますね。
参加者の皆さん、講師の中川圭永子さん。サポートスタッフの皆さん、ありがとうございました。
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