国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)は、障がいのある方も、ない方も、
すべての人にご利用いただける施設です。障がい者が主役の芸術・文化・国際交流活動の機会を創出し、
障がい者の社会参加促進をめざします。施設内には、多目的ホールや研修室、宿泊室、レストランを備えています。
プロジェクト
2024年5月28日(火)に、ビッグ・アイにて、about meクラブ〈第1回〉「表現することは生きること」を開催しました。講師に、美術家・アートディレクター中津川浩章さんを迎えました。
このセミナーレポートは、当日の様子とともに、具体的なエピソードや意見を紹介します。当日は、大雨警報が発出する中、ご参加いただいた方には、感謝申し上げます。中津川さんのお話や、相談ごとの回答の中で、「そうそう、気になっていた!」「なるほど。こう考えるといいんだ」など、日々の支援のお役に立てれば嬉しいです。
セミナー概要
日時 |
2024年5月28日(火)14:00~17:00 |
場所 |
ビッグ・アイ |
このセミナーは、何でお知りになられましたかの問いに、ほとんどの皆さんが、「チラシ」とおっしゃいました。SNSが発展する中でも、お忙しい福祉の皆さんはWEBを見る暇がない。事業所に送られてきたチラシを手に取って、ご参加を決められたとことでした。中津川さんも、公募展も、SNSより、チラシや電話などの方が、応募が多いとおっしゃっていました。
前半は、中津川さんの自己紹介、これまでのお仕事についてお話しいただきました。
★中津川さんのご紹介やお仕事については、こちら
後半は、車座になって、参加者の質問に答えながら、皆さんの状況など、お伺いしました。
参加者:
就労支援A型・B型をやっています。生産活動中心でやっているが、絵を描きたい方が2、3人います。今、生産活動売上で、その子たちの工賃や給料を賄っているので、絵を販売したいと考えています。Aの子、Bの子がいて、精神障害で軽い。普通に見ていても健常者と違いはないです。書いている絵も具体的。ただ白黒でしか描けない。家に飾りたいというくらいのクオリティの絵です。ただ、最後まで納得のいく絵にならない、それで完成させられない。本人は、ものすごく悩んでいるんです。僕らも正直、アドバイスができなくて、「描きたいように描きいや」とは言えるけど、専門的なアドバイスはできないですし。7、8割まではいくんだけど。いい声掛けはありませんか?
中津川さん:
本人が完成するところまでいってないんですね。どこが完成かは人によって違う。たぶん、そういうのって、循環がないからだと思います。アトリエの中で完結しているから。もしかしたら、その作品を、どこかの展覧会、グループ展に出すと、自分で見たときに、僕もっと描けるんじゃないかと思ったら描ける。それと、忘れたころに、3か月後くらいにだしてきて、「もうちょっと描いてみない」と言ったら、気分が変わって、リセットされて、更に描き進めたりします。工夫しながら、塗り重ねる機会を作っていると思うんですよね。主体性を大切にしたい。本人が完成といったらそれが完成というところは大切な部分なんだけども、客観的にも物足りない領域があるとしたら、1周終わって、どこかのタイミングで「どう?」と、それでもいやだったら、もういいよね。そして、また1年後に、出してくるという感じとかね。知的の人は自分の作品が展示されることで変わる人はいがいに多いです。
「描きなさい」って言って、描く人っていなくて、勝手にはじめて勝手にという感じだから。勝手に始める感じをまわりが繊細に準備していくことが大切だと思います。
障害者特性によって、微妙に違うところもあるとは思うのですが。あきらめないのが大切。この人は障害があるからここまでですよねって、暗黙知をつくったら変わらない。アプローチし続けることが大事だと思います。
(例)やまなみ工房の山下さんがよく言うのは、岡本君という寝っ転がって絵を描く人がいるのですが、彼は10年間全く絵を描かなかった。高度障害で、暴れたりするので、車に乗せると、おとなしくなるから、毎日外に連れて行ってたんです。そしたら、トラックが走るのを見るとすごい集中力があるので、こいつもしかしてトラック好きやんと、トラックの写真を持ってきて「描いてみいや」と言ったら、いきなり描きだした。10年間、可能性を探り続けて、センサーを絶やさず、何かのきっかけで、はまることがあるのです。
(例)ある日、絵を描いているときに、描くのが、苦手だなって思ってた子が、おしっこを漏らしちゃった。そのズボンにおしっこがひろがるのをずっとみていた。それでこれだ!と思って水彩でにじみをやろう。実際に、紙に水をにじませたら、はまって、水彩で絵を描くようになった。どこに答えがあるかはわかんない。アートの支援員さんはまったくちがう経路から、表現を発見していくことが必要なんだろなあと。もしかしたら、風景画じゃない別のものが描きたいのかも。本当に表現したいものがあるのかもしれない。そしたら、完成までいくかもしれない。いつもの風景画やモノクロじゃないものにトライしてみようかとか。それではまって、違う形で花が咲くかもしれない。創意工夫とあきらめないことが大事。
参加者:
東大阪市役者を主体とした障害者週間。東大阪市のアート展を一緒にやっている。事業所の足並みをそろえる方法。東大阪市の中でもいろんな事業所がある。A、Bは作業に力をいれる。趣味でやっているとか。せっかくなのに、当事者の作品、芸術的なもの。展示をするというのに。市役所22階が展示スペース。そこを埋めるのに事業所で声をかけて22事業所が集まっているが。仕事のほうが忙しくてなかなか制作にはまわれない。でもつくっている人も多い。足並みをそろえたい。支援者のモチベーションをあげる方法を教えてほしい。
中津川さん:
それは余暇活動で、アート活動をやっているってことを温度差を埋めていきたいってことですよね?
絵を描くとか、アートと呼ばれている物を模倣する。障害のある人の作品のおもしろさって、模倣ではない、もっと違うところから人間がどんどん立ち上がるところがあり、それを発見する喜びがあるじゃないですか。それを社会化することでアートになっていく。逆にアートを見習わないほうがいい。創造性がでてくる方がいい。やっぱり展覧会をつくるものとしては、高低差が出てしまう。良いものと悪いものが混在する形になってしまう。展覧会のしくみを変えちゃうことですね。
絞るとかキュレーションかけて、ある種のテーマ性を持ち込んで、選別して、ゾーンをつくる。そういうゾーン、そうじゃないゾーンを作ってすっきりするかなあと思います。
それともう一つは、そうじゃないと思われている高低差の低い施設とコミュニケーションをする。会場だけで会うのではなくて、お互いに見学したり、意見を交換したり。気づいていくところがある。利用者に声をかけるのはむずかしいから。うちは、こういうふうに表現を考えているんですよとか、仕事として売れるとか売れないとかより、障害者のある人にとってアートとはこうなんですよと、余暇活動であっても必要ですよねと、共有できるようになったら、クオリティは絶対あがると思います。
多分、余暇活動と思ってる人たちは、時間つぶしと、上からのアリバイ作りで絵を描かせているところが多いと思うんです。そこに喜び、驚きがあるということで、僕らも盛り上がっていくこともあるから、驚くような絵を描いてもらうように仕向けて行くといければと思う。
参加者:
確かにゾーンを作るのは良いと思います。今回、3回目は、大きなところ、22階で、行います。僕が副会長になっておりますんで。いろんな人にみにきてもらったほうがいいということで、投票、最優勝賞は、選ばないほうがうがいいであろうという話があったけど、今回は、そうではなくて、色んな事業所にチラシ作って配布して、オーディエンス賞ということで、出す人の知り合いを呼んで、絵を出した人の知り合いが100人いたら100票はいるみたいな。お客さんを呼んで、色んな人に障害者アートを知るしくみづくりにいろんな方法でやってみようということにしました。
中津川さん:
展覧会の目的をどこにおくかですよね。オーディエンス賞はみんなのものにしていくみたいな。なぜ、みんなのものにしたいかというとそのプロセスをフィードバックさせたい。それを施設に持ち帰ってそれによりモチベーションを高めるとか、支援員さんのモチベーションを高めるとか、それはいい絵を描かせるためじゃなくて、豊かな生活、障害があっても豊かな生活を送る。表現することで人とコミュニケーションができたり。そのへんの思いは、どこも持っていると思います。それが達成できるという成果をつくることが大切なんじゃないかと思います。
福祉の色が強い展覧会だと、賞をつけないことが多い。健常者は優劣をつけられているのに、障害者にはつけない。それは逆差別じゃないかって。それを取り込むことにより、障害者に人もがんばったりする。モチベーション高くなる人もいるから。賞のあり方もみんなで考えていけたらいいんじゃないかって。大賞とかだと権威っぽくなるから、何かおもしろい名前を考えるとか。プライバシーに考慮して、この絵がどういう背景で描かれたのかキャプションを入れることによって、垣間見えるみたいなのがあるといいかなって。
参加者:
特徴は入れていこうかと思っています。自分らの事業所内であればどういう人が描いているのか知っているけど、いろんな事業所が参加しているので。賞については、お話しを聞いて、僕もうまいへたではないと思っているので、検討したいと思います。
中津川さん:
賞のあり方についてですが、逆に、賞だからちゃんとしたものがいいとか、そんなふざけた名前つけんじゃねーよとか、ちゃんとした名前。総理大臣賞とか、そういうことをつけなければいけない人もいるので、そこはどっちが正しいかはあんまりなくて、どういう考え方でその展覧会を作るのかというところになってくる。色々審査員などで回るとそれぞれ考え方が違う。
(例)ArtToYouは、始めた人が、仙台の大きな会社の社長さんで、人材派遣会社なんですが、とにかく、障害者雇用を進めたい。そのためには企業を巻き込みたい。そのためにはアートが一番。協賛企業を作って、実際それで、就労施設が増えた。あと、逆なところは、アートに特化して。アートパラ深川みたいに。東京江東区のコミュニティを福祉とアートを使って立て直すためにやるんだとか。外から見たら同じような公募展でも、運営する人がどこにいきたいのかで、変わってくるし、その賞のつけかたとかネーミングも含めて反映していくと思うのです。ということは、東大阪の街をどうしていくのかからんでくると思います。ただ、アート展だけではなく、市民を巻き込んで、見に来てもらって、障害者と交流してほしいのか、すごいアートを見てほしいのか。ちゃんとみんなで話し合って決めることで着地点がクリアになる。そういう話し合いに、いろんな施設に入ってももらったら、うちは余暇活動だけど、もう少しがんばれそうとか、モチベーションもあがってくるし、その人をエンロールしていくのかをダイアローグすることが大事だと思います。ノウハウやテクニックではなく。
参加者:
合同会社らいとの能見と申します。絵を飾るにあたって。阪大病院やメンバーさんを知ってほしいという思いが強くあるので、いろんなところで展示させてもらっています。そこで、どこまでスタッフが絵に対して手を加える。出来上がった絵を、こんな額、マットはこんなんでとか。スタッフがいきいき、輝いてほしいと手を加えるけど。どこまで入り込んでいいのか?
中津川さん:
絵自体に手を加えるわけじゃないからね。額装とか見せ方ですもんね。基本的に、僕は、その人の表現が一番輝くやり方がいい。この作品に額装がいいと思ったらするし。ガラスがないほうがいいなら、ガラスははずす。1枚1枚より100点を1点としてだすとか。その人の表現が全体像としてどうあるか。それを考えて展示するかな。
(例)ある人が紙をくしゃくしゃするだけの人がいて。友人のアーティストに頼んだら、おもしろい形に、ななめにしたりとかやっちゃったんですよ。流れを作って展示して。それは駄目だなあと思ったの。意図的にそれをおもしろくしてはいけない。くしゃくしゃとそのひとはしているだけから。ちゃんと、水平垂直に順番通りに、普通にする。その人の日常を表現するために。ねじまげたり、演出することはやめたほうがいい。アートを経験した人はそれをやりがち。演出が上手なので。障害のある人の表現は本質的なものがあるので、僕らがアートのバリアをはずしていくことが必要なので、それによって、彼らの本質的なものが残酷なまでにみえてくる。どうしても、文化の価値にあてこめちゃうけど、彼らは、文化の価値を壊しちゃうところがあるので、そこが見えるようにすることで本来の人間の表現、文化が見えてくる。
参加者:
うちの事業所は、生産活動がほぼでして、創作活動やアート作品はしていないんですけど、一人だけ、こいのぼりの制作が好きな人がいる。何十年と作り続けている。ロープとかも全部手作りなんです。自分で作って縫っている人がいます。それがもったいないと思うのです。去年、初めて、違う法人の、商店街が近くにあるから。こいのぼりをかざってくださって。それがお金になった。これからどうしたらいいでしょうか。
中津川さん:
実際、見ていないからわからないんですけど、でも、お金が発生したということですもんね。さらにもっとということですね。鯉のぼりって、誰でもわかりやすいものじゃないですか。それはアートではなかなか思ってもらえない領域ですよね。そうすると、見せ方かな。ものすごい数を見せることによって。普通の人は、鯉のぼりって買うもんじゃないですか。その人は、ゼロからつくることに価値を置いていますよね。その価値が観える展覧会を作る。それを、自分たちで作ってみたら、これ、鯉のぼりだけど、アートじゃないのと、価値観が変わってくる可能性はあるんですよね。僕が関わっている施設で、折り鶴をつくる人がいる。誰でもつくれるけど。普通の色紙の1/4のおりがみでつくる、小さいおりがみ。きっちりつくる。1羽だけみて、すごいねって。この人、家に折り鶴が何万羽もあると。家にいったら、折り鶴だらけ。階段も。何万羽ではなく、何十万羽もあると。30年間折りつづけている。これ、折り鶴だけど、アートであり、日記であり、ライフワークだよねと。それを、僕らは馬鹿で残酷だったから、全部借りて展覧会にだしたんですよ。そしたら、その子、家に帰れなくなっちゃった。そういう失敗をしたんだけど、美術館にだしたら、皆、感動して、拝んでいく。祈りの気持ちが通じる。そしたら、作者は、自分の折り鶴を展覧会場で見て、理解したらしく家に帰っていったんです。で、また折り鶴を作りはじめた。展示する場所、文脈を整えることによって、こいのぼりがアートに、表現として立ち上がっていくことがあると思うんです。そこまで考えたら、違う形で生かされていってなんかの形で話題になることもあるのかなって思います。
折り鶴ってアートじゃないと思うんです。だけど、それが何万羽となると、アートになっちゃう。逆に言うと、誰でもができる当たり前を繰り返すことで違うものに変容する。でも、誰にでもできることを30年間繰り返すことはあんまりいないですよね。その30年の気持ちとか重みは、祈りに近くて、障害のある人は、やり続けることができるってすごいなあと思います。見る人は、それを瞬時に感じて、お祈りをする。人間の物をみて感じるというのは、ディスコミュニケーションじゃなくてちゃんと伝わっていくんだよなあ。人を信じる、見る人を信じる。ちゃんとやっていかないといけないなあと思いました。アートを知らないからこんなのやってもわかんないよねじゃなくて、わかってて無視してる、そんなことを感じました。
参加者:
とにかく描きたい利用者がいる。とにかく描きたいものですから、いい画材も用意できないので、コピー用紙を用意してます。描いてきたものに対して「これは何?」って聞くと、たいてい答えられないです。聞かれたからこれにしとこかなという返しがかえってきているようですが。
中津川さん:
問いかけは必要です。なぜかというと、自分が興味をもたれているってことで、モチベーションが上がるから。答えはなんでもいいですよ。たぶん、その時に思いついた全然関係ないことを言ったりとか、オウム返し系もいるだろうし、聞くたびに違う答えを言うひともいるけど。だけど、問いかけられることで、自分は見られていると感じることができる。あと、僕がよくやるのは、絵の中で「この形は何?」とか。さらに、具体的に聞くことはやります。それだけ細かくみています、観察していますということを伝えます。曖昧にいいねだと、あまり伝わらないような気がします。自分が気になったところを聞く、指摘するとか。それが大切だと思います。
絵のコミュニーションって難しいんですよね。
精神の人たちは、聞くと、自分の生い立ちまで喋りだしたりとか。直接、生い立ちを聞いても、だれも答えてくれないだけど、絵をツールにして、コミュニケーションがつながるとすると。僕らが思っている以上に、絵は人と人をつながる道具なんだと思う。表向きには精神障害の人はわかりやすいけど。知的障害の人も同じで絵を媒介にして、コミュニケーションしていくと、向こうは、コミュニケーションした気になっているかもしれない。絵は、根本的にはコミュニケーションツール。人間のかなり深いところの。それを深めていくと面白い絵になるのは間違いないと思う。個人の体験は違うから違うことを深めていくと、クオリティが上がってくるのは当然で、。その人の思いや、隠されたものが投影されると、芸術的にも高くなってくる。あなたの潜在意識も表現してくださいねという声掛けやうながしが大事です。
参加者:
その声掛けが難しいなあと。
中津川さん:
具体的に興味を持つ。その人に興味を持つ。なんでこの犬を描いてるの、この色なのって。相手の反応も聞いたり。ほぼほぼ喜びますよね。よく聞いてくれたって。こういう場所で、自分を表現してもいいんだという安心感につながるし、重なっていくと、独特の表現になり、クオリティの高い作品になるんです。皆マニュアルだと思ってるけど、やっぱり、興味なんだよね。愛情をちゃんと伝えると、帰ってくる。逆にこっちが試されているんだよね。そう思って接したほうがおもしろい。
参加者:
それがなかなかできない支援員が多かったりする。
中津川さん:
彼らには、いろんなコミュニケーションがあって、例えば、体の動きとか目の動きとか、目がちかちかするとか、いろんな言語があって、それをちゃんと拾える支援員さんが、表現活動において、いい作品を引き出す支援員と重なります。言葉だけではなくて、言葉の向こう側にある存在をどういう風に感じ取るかのセンサーが大事。ちゃんと高めていくってことが必要で、言葉がめんどうくさい、一番いらないものになってくる。自閉症の子がオウム返しする時に何を見ているのか、何を感じているのかを類推するとか。或いは、一人だけではなく皆でカンファレンスする話し合うことで、こういう意味があるんじゃないのって。これは彼のああいう表現なんだねって。みんな完璧な人はいないから補い合いながら場を作っていくことができると思う。
(例)長野で関さんという高度障害のプロみたいな人なんですけど。僕、50年もやっても、途方に暮れるです。いまだにわからない。わかったと思うと次の日全部ぶちこわされる。僕にとって、福祉の仕事は途方にくれることです。途方にくれることをあきらめないで、次の日もみんなで話し合う。それが表現なんだっておっしゃっる。すごいなと思う。その人が提唱しているのは「妄想会議」。利用者さんが訳のわからないことをいっぱいやってる。小石を毎日並べている。どういう意味があるんだろうねって。それで2時間くらい喋るとか。そうすると、あの子の親御さんこうだったよねとか、どこに住んでてとか、いろんな情報を集めると、毎日小石を並べる意味がちょっとだけ見えてくるんだって。そういうのをわかって支援すると、高度強度障害っていうのは、減っていくとか、妄想会議は、エビデンスがあるわけではないけど、「この子は何でこんなことをするのか」話し合っていくという。このリアリズムを失わないことが、一番大切なのかなと感じます。
マニュアルじゃないところで、自信も叩かれるし、この人と意思疎通ができたって思った次の日に自分の思い込みだったかもしれないと。そういう風に思い込んで支援することが恐いじゃないですか。できないことを繰り返していく、打たれ強さは大事。そこと表現活動をサポートすることって似てるよね。
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講師の中津川浩章さん、そしてご参加くださった皆さん、ありがとうございました!
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