国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)

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国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)は、障がいのある方も、ない方も、
すべての人にご利用いただける施設です。障がい者が主役の芸術・文化・国際交流活動の機会を創出し、
障がい者の社会参加促進をめざします。施設内には、多目的ホールや研修室、宿泊室、レストランを備えています。

事業報告・研究

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事業報告

リーガン・リントン来日報告書「僧のように」

開催日:2015年 3月 9日 (月)

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2014年7月に、国際セミナー「リーガン・リントン あなたが輝く9のコトバ」への出演のために日本を訪れたリーガン・リントンさん。
日本滞在中に感じたことや考えたことを綴った彼女の報告書をご紹介します。

リーガン・リントン/Regan Linton

2002年、南カリフォルニア大学在籍時に交通事故により脊髄を損傷。治療のために中退するも復学を果たし、2004年に同大学を卒業する。その後、クレイグ病院、ヨガ・フォー・ザ・ピープルなどに勤めるかたわら、デンバー大学でソーシャルワークを学ぶ。2010年より、カリフォルニア大学サンディエゴ校演劇・ダンス学科に在籍。俳優として、デンバーポスト紙「オベーション賞」(2009年)、コロラド・シアターギルド「ヘンリー賞」(2008年)を受賞。

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僧のように
リーガン・リントン

私は時々、自分を仏教の修行僧だと想像してみることがあります。
私は車いすに乗っているので、一日のほとんどの時間を僧のように座って過ごしています。私のユニークな視界からは、多忙な人々が見過ごしてしまいがちな、深い真実を垣間見ることができます。僧のように。
私の身体は少々、ケアと注意と自己認識が必要です。生命や身体、存在というものの、いつしか無くなるという性質を受け入れること、このことと自己認識との間でバランスをとることで、物質的な世界から解き放たれる時を過ごすことができるのです。僧が瞑想する時のように。

日本で、何百年も樹齢を重ねた木々に囲まれた、苔むした山の上の墓地を車いすで走ったときのことです。この惑星の喧噪から遠く離れたように感じられました。このような聖なる場で、歴史と霊の宿る清らかな霧を吸い込むと、僧と向かい合っているように感じられます。それがとても落ち着くのです。

日本にいる、いま、この時点(2014年7月)では、私は仏教の僧ではなく女優をしています。私が初めて日本を訪れたのは、2006年のことでした。モビリティ・インターナショナルUSAの後援による障がいのある若者の文化交流のために来日したのです。その時の旅は魅力的で、ホームステイをしたり、途方もない東京の地下鉄を探検したり、日本とアメリカの手話を比較したり、東京野鳥公園の高く生い茂った草を刈ったりしました。また来日する機会があればと夢見ながら帰国しました。ですから、ビッグ・アイ(大阪にある障がいのある人々のための芸術文化の交流拠点)で講演してほしいとの招待があったときは、飛びつきました。

小学校の地理の授業を思い出せない人のために、日本の位置を説明します。日本は韓国と中国のすぐ東にある島で、私が今回旅を始めたサンフランシスコからは、飛行機で11時間のところにあります。日本の他にドバイ、ヨーロッパ、ブラジルに行ったことがありますが、これまでの国際旅行と違い今回は一人で旅に出ました。必然的に疑問がわいてきました。トイレはどうするの?飛行機では当初、通路側の座席をすすめられました。フライト中、車いすで私をトイレに連れて行けるようにです。これについてですが、私が受けた膀胱手術のおかげで、効率的に、またいくらか穏やかに、へそを通して膀胱を空にできるのですが、その簡単さと比べると大きな問題ごとでした。私は客室乗務員のサキに状況を説明すると、彼女は何の問題もなく私がボトルから尿を空にするのを手伝ってくれました。やった!異文化間の難しい状況(問題1)は解決されました!

問題2は11時間のフライトでした。私たち肢体麻痺者(両下肢麻痺、四肢麻痺など)は、たくさんの時間を座って過ごしています。しかし飛行機でじっと座っているのは、身体をねじったり体重の移動ができる自分専用のいすに座るのとは違うのです。私の場合、自分専用のクッションでも、具合が良くありません。加圧ストッキングを着用したり、足をマッサージしたり、ヨガをしたりすることで、足がむくんだり、皮膚にトラブルが起きたり、具合が悪くならないようにしています。
すぐそばに隣の席がある飛行機の座席では、私がくねくね動くと、近くの乗客が何事かと顔を上げるのです。でも今回はゲートのところで、隣が空いている席を割り当ててもらえないか頼んでみました。(私の便の乗客で立ち上がったり動き回れない人は、おそらく私だけだろうと思ったためです)。
私は座席を一列まるごと使わせてもらうことができました。私はとても感謝しました。座席で思う存分身体を動かすことができました。(ところで、車いすの乗客は私だけではなかったのです。最後には同じ便に4-6人の日本の車いす利用者が乗っていました。私は良い仲間の中にいたのです)。2つ目の難問は解決しました!

問題3は、言葉を少ししか話せない外国で、個人的で重要なニーズを伝える必要がある場合に起こるその他もろもろの問題です。それでも、大阪の空港ゲートに到着して数分のうちに、なぜ私は日本へ旅行に行くのが好きなのかを思い出しました。彼らはとても上手にものごとをこなすのです。例えばフライト後の車いすの組み立てや、筋骨隆々の客室乗務員がいなくてもつんのめらないですむ安定した通路のいすを設計する(写真参照:なぜ合衆国でこれらのいすがないのでしょう)といったことに対し、丁寧で、効率的で、常識があります。加えて日本の文化は誠実で、フレンドリーで、丁寧なのです。

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適切な支援技術を知らない時や、支援が必要でない時に、自分自身を差し挟まないのです。彼らが効率的なので、私はときどき自分のことをするのに時間がかかると、少し神経質になってしまうことがあります。でも、「あなたには能力がないように見えるから、たとえそれが災難に終わるとしても、私はあなたを助けましょう」とでもいうように干渉してくる人と言い争うことはありません(アメリカではよくあることなのです)。
飛行機を降りて数分で、車いす利用者も大変利用しやすい空港のトイレに行き、並んでいる人がいない「アクセシブル」な関税をすいすい進み、ホストの出迎えを受けました。そして、ビッグ・アイまでの長時間の移動のために、清潔なタクシーに乗り込みました(運転手は白い手袋をした女性でした)。

ビッグ・アイ

日本に到着するまでに、ビッグ・アイについての資料をできるだけ読んだのですが、どのようなところか完全には理解できていませんでした。その主な理由は、アメリカに類似の施設がないからでしょう(バークレーのエド・ロバーツ・センターはおそらく最も比較できるものでしょう)。国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)は、日本政府によって2001年に設立されました。芸術、文化、社会への提言となるプログラムを通じて障がいのある人々の役に立つとともに、地域コミュニティや国際社会に対し、障がい者に関する社会福祉トレーニングを提供しています。また、防災のための講座を開催したり、館内の音楽ホールで東京から招いた障がい者を含むオーケストラの公演を行ったり、障がい者を対象とした舞台やダンスワークショップを開催している国際的なアーティストの公演を行なったりしています。ビッグ・アイには最先端の音楽ホールのほか、会議室・研修室、レストランなどがあります。特にユニークなのは30以上の客室を備えたホテルで、和室と洋室があります。

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ビッグ・アイのキーポイントは、“すべて”が完全にアクセシブル(誰もが利用しやすい)なことです。ホールでは1階に車いすをたくさん収容できるようレイアウトを変えることができます(最高200台まで車いすを収容できます)。館内は自動ドアの天国です。施設内のトイレには大人でも十分使えるおむつ交換台が備えられています。エレベーターには音声案内と手話通訳のビデオ映像が備えられています。客室はアクセス中毒者の夢のようで、手が届くところにあるスイッチ、ライトが光るドアベル、手すり、車いすの高さのベッド、車いすを旋回できるスペース、手すりがたくさんついた浴室、日用品を置ける十分なスペース、浴槽でも平らなところでも使える回転できるシャワーエリアなどがあります。

これらの設備の見た目が良いわけではありませんが、そもそもそうである必要はないのです。日本ではよくあることですが、機能が見た目よりも優先されるのです。これは私の人生哲学でもあるのですが、ベッドが手彫りであるか、200年前にさくらんぼ色に染められた木を使い、金の装飾がほどこされているかなどということは、あまり気にしないのです。もしそのベッドが高くて乗り移れないのなら、役に立ちません。日本人は空間を効率的かつ合理的にアレンジする方法を知っています。日本では、限られた空間に膨大な数の人が住んでいます(一平方マイル(約2.5平方キロメートル)あたりの人口密度を比べると、大阪・京都・神戸では13,900人で、ニューヨークでは4,600人です)。ですから、日本の空間を活用する技術はADA(障がいのあるアメリカ人法)の基準をしばしば上回っています。率直に言うと、理にかなっているのです(デザイナーが個人の好みに合ったものより、利用者が必要とするものを実際によく考えているということのようです)。

ビッグ・アイの辻 一(つじ まこと)館長(マコちゃん)は、40年前の交通事故で下半身不随になりました。彼はビッグ・アイの隅々まで、アクセスの観点から考えていますが、まだ十分だとは評価していません。私が持ってきた旅行用の補助いすが日本式のトイレの形に合わず、使用することが出来なかったのです。彼は、その状況を見せて教えてほしいと、丁寧に私に尋ねました。また次に訪れる時まで、このことは私の心に残り続けるでしょう。

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気取らないビジネスマンであり、権利の擁護者であり、アスリートでもあるマコちゃん。彼との会話から、彼が障がい者にとって最も大きな課題のひとつは、手頃でアクセシブルな宿泊施設を見つけることだと考えていることがわかりました。
ニューヨークやロサンゼルスのような大都市でさえ、アクセシブルで手頃な選択肢はほとんどありません。「アクセス」=「スペース」=「価格が高くつく」となるのです。バリアフリー(日本でよく使われている単語です)な宿泊施設が必要な人は、ビッグ・アイを訪れる際、もしくはビジネスや娯楽で大阪を訪れる際にも、ビッグ・アイに泊まることができます。ビッグ・アイは鉄道駅やバリアフリーの複合商業施設からすぐのところに位置しています。

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ビッグ・アイで様々な障がいの方(とその家族)と出会ったのは、不思議なことではありませんでした。彼らのうちの多くが、私の講演の参加者だったのです。精神障がいや知的障がいのある人々のヒップホップグループで活動している人、教師をしている人、知的障がい者の介助者、障がいのある子どもを持つ人・・・彼らの中には、子どもがうけたケガや症状を受容する過程にある人もいました。私は自分の脊髄損傷と、劇場でどのように自分の人生の目的を再発見したのか、また最終的にどのようにプロの女優としての人生を築いたのかについて話しました。有能な通訳者が私の話す一文一文を翻訳する間、参加者には忍耐が必要だったと思います。しかし皆、比べるものがないほどの配慮と敬意がありました。多弁な出席者がゆっくりとした話し方で自分の来し方についてかなり長く語る決意をした時もそうでした。携帯電話を見たり、マイクを外そうとしたりする人はいませんでした。皆、話を聞きました。

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講演の後、私に謝意を示しに来てくれたたくさんの人と話をしました。広島から来てくれた年配の紳士は、子どもの頃に広島で原子爆弾により被爆した生存者でした。中年の男性は、生花をプレゼントできなくてごめんなさいと謝りながら、彼が撮ってくれたバラの花の写真を一冊の本にまとめて、私に贈ってくれました(私が今回の旅でもらった、数えきれない贈り物のなかで、最初のものでした)。社会の目から見ると「普通」ではない子どもの育児に奮闘している母親もいました。お互いの言葉を流暢に話すことができなくても、障がいの社会経験は通訳なしでも理解でき、これらの経験に基づく絆を皆で共有しました。私は知識を分け与える側だったと思いますが、人生の真の目的を啓発してくれるたくさんの先生に囲まれた生徒のように自分自身を感じていました。これは僧の流儀と言えるでしょうか。

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ビッグ・アイを出て

私についての背景を少しお話ししましょう。私は冒険が好きです。自分が活動できる境界線を広げ、がけっぷちで生きるのです。人生において、毎日を何か違うことや普通でないことを探検するのに使います。これは、絶えず飛行機から身を乗り出すような冒険が好きという意味ではありません。嫌いな食べ物にトライしてみるといった単純なことです。顔見知りでなくても話しやすい人とその場で話してみるとか、迷うかもしれないところに思い切って行ってみるとか。私は天秤座なので、冒険することと、生きているために十分に注意することの間でバランスを取るのが好きなのです。端を越えて倒れていってしまわないようにしながら、がけっぷちで生きるのです。

車いすで旅をしているので、実用性や安全性のために、冒険を妥協しなければならないときがあります。アラビア砂漠をラクダに乗ってペトラ(ヨルダンにある都市遺跡)まで行ってみたいのですが、このような冒険は副次的な危険の可能性を高めてしまいます。それは、砂に隠れていたりして気づかないでいる虫に刺されて肌がヒリヒリしたり、衛生状態の欠如から腸炎や膀胱炎になったり、身体のニーズに合わせて作られた環境でない場所にいることによる全身的なリスクや疲労といったことです。車いす利用者にとっての最高の旅とは、私の経験から言えば、経験を損なうほど複雑ではないかたちで、冒険と体に気をつける余裕を提供してくれる旅なのです。

のんびり果てしなく続く旅行に負けたくない車いす利用者にとって、日本は完璧に適しています。バリアを軽減する最新の快適な移動手段のおかげで、人里離れた山のオアシスのてっぺんに行くことも、摩訶不思議な外国文化のまっただ中の巨大な古代寺院に入ることもできます。「お寺に入るために、どうやって山を登ろう」というストレスを軽減し、休みのストレスをもっと良いものに費やすことができます。「今日はラーメンとお好み焼き、どちらを食べようかな?!」

これは、日本がアクセスにおいて絶対に確実であると言っているのではありません。レストランやお店は車いすには狭く、入り口にスロープがなく段差があります。地下鉄や他のアクセスにおける問題が(日本語を話せない場合は特に)、難解な問題になりえます。しかし障がい者への差別防止法がないにもかかわらず(2016年に完全施行されます)、日本では主な公共スペースが幅広い範囲で、効果的にアクセシブルなものにされています。再びふれますが、アクセシビリティと関係のない意図で設計された多くのものが、機能的なデザインのために、バリアフリーとなっているのです。例えば「日本式」のポケットドア(基本的に開いた時に扉が壁に隠れる引き戸)はしばしば自動式で、トイレのような狭い区画で省スペース化を可能にしています。一般的にスイングドア(扉を押して開くタイプのドア)よりも簡単かつ安全に開きます。

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バリアフリーゾーンを創るとなった時に日本では、私が「ビデオゲームアプローチ」とニックネームをつけたものを採用しています。アメリカでは、アクセスの問題はしばしば、過度に複雑に扱われていたり、オーバーに考えられすぎています。それがためらいへと結びついています。ビジネスで段差のあるところをスロープにすることが必要な場合、例えば次のように詳細に論じられます:どのような種類のスロープなのか?それはいくらするのか?誰が法的に責任を負うのか?建物の前面すべてを変える必要があるのか?見た目は良いか?法律や条例に沿っているか?裁判に訴えられないか?等々です。その結果、私がしばしば目にしたのは(スロープを設けるのを)圧倒的な困りごとと誇張して、事業オーナーが宿泊施設をつくらない言い訳をすることです。ADAは「アクセス」が「面倒なこと」とイコールになることを意図したものではありません。ポイントはビジネスで手頃な宿泊施設が作られることで、それは段差のある入り口にモジュール式のスロープを設けるのに200ドル投資することを意味したかもしれません。しかし恐れや訴訟や官僚制がしばしば、シンプルな解決法の妨げとなっています。

日本ではこの問題を厄介だと感じないのです。「ビデオゲームアプローチ」では、スロープの問題を次のようにシンプルに考えます。「ブーブー!ここに小さな通路を作って…ビビー!ここの溝に板を渡して…・ビー!ビー!魔法のキノコの上に車いすを乗せるのを手伝って、ピンポーン!お姫様をゲットして!」。これは、アクセスチャレンジとでも言える、気まぐれや効率性や義務で扱われる小規模なプロジェクトのようです。見せかけの困難さや、恩着せがましい態度ではないのです(アメリカでは私にとっては頻繁すぎるほど起こってきたことです)。ほっそりした地下鉄職員が、あなたにどこの駅で降りるのを訪ね、駅のプラットホームと車両の間に金属の板が渡されるのに、30秒もあれば十分です。あるいは、車いすの車輪についた汚れを、靴を脱いだ店内に持ち込まないようレストランの主人に車輪をふいてもらうのにも。

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これらの解決法の多くは日本中に存在しています。地下鉄はほぼすべて車いすが通行可能です。奈良の古寺には、車いすが聖なるスペースに入れるようスロープを設けていました。そして、私が最も楽しかった経験のひとつがUNESCOの世界遺産、高野山の訪問なのですが、高野山ではエレベーター、スロープ、係員が配置され、山の頂上へ登る傾斜のきついトロリー車(高野山ケーブル)に乗るのを係員が手伝ってくれました。頂上に到着するとアクセシブルな通路が設けられ、日本の歴史が詰まった聖なる墓地やお寺(このお寺には千年前から僧が住んでいると今も信じられています)へ導いてくれます。旅にはスタミナが必要で、大阪から電車で1日たっぷりかかります(高野山の頂上に宿泊施設がありますが、アクセシビリティを評価するチャンスがありませんでした)。でもその旅は長くかかるだけの価値があり、わずかの間、僧の生活を体験してみるために滞在した車いすの侍のように、自分自身を想像することができました。

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他には神戸の福寿酒造へ訪問し、美味しい利き酒をし、とても楽しい時間を過ごしました。また、天神祭に行き、伝統的な衣装を着た神々、食べ物、花火、ゲームなど様々なことを楽しみました。それから、国立文楽劇場で文楽を観ました。そこでは、昔ながらの方法で手づくりされた人形を正確に操って、アーティストが古代の物語を上演していました。文楽は、私が今までに見た物語を語る技術のなかで最も技量が優れた印象的なもののひとつです。

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そしてもちろん、食べ物です。お好み焼き、ラーメン、お米、お魚、漬物、味噌、豆腐、お茶、オムライス、せんべい、豚まん、ビール、照り焼き、寿司、もっとあります…伝統的な日本の食事を十分食べられませんでした。勇敢な胃を持つ人へプラスの情報ですが、市場の魚屋さんでは、うなぎや魚やその他のごちそうが、水槽からテーブルのあなたの前へと準備される様子を間近で見ることができますよ。

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この旅のあとで、日本でここ二十年の間に存在するようになった不幸な言葉を知りました。「過労死」です。文字通りに翻訳して、過労死とは「働きすぎによる死」を意味します。身体的なストレスや、心筋梗塞、脳卒中、長時間勤務から起こるその他の身体的な問題で、突然死ぬ人々と関連づけて使われます。これは熱心な日本の労働倫理から起こる破壊的な現象です。この労働倫理は皮肉にも、第二次大戦後の日本の発展と繁栄の主な要因でもあったようです。

私の訪問中、迎えてくれた日本のホストの心のこもった微笑みの後ろに、悲しさや疲労を感じ取ることができました。確かに私は、彼らは家に帰って眠っているのだろうかと不思議に思いました。というのは、彼らはずっと働き、動き続け、私のために彼らができることをすべてしてくれたからです。おそらく、多くの国々やその国の人々のように、日本にも、私の訪問中には際立って現れなかった、もっと憂鬱な一面があります。それが高野山の厳粛な静寂さの中で私が感じたものかもしれません。

この厳粛な静寂さは、日本で私が愛し尊敬するものです。場所、人々、生活のなかに、深い真実があり、意味があり、心があります。しかし、日本はそれを深刻に受け止めすぎないことを学んでいます。日本はこの深さを、キュートで、機能が優れていて、マンガのような表面とバランスをとっています。人々はこだわることなく、動いたり、行ったり、何かをしたりすることに自身を委ねています。そこには静かなプライドがあることがうかがえます。それは言葉から(「すみません」と「ありがとう」が最もよく使われます)、ごみや尿の臭いのしない清潔な地下鉄から、美味しい食事からうかがい知ることができます。日本では狭いスペース、小さな植物、小さなアイテム、優れた技術が用いられ効率的です。スムースで自動化されています。移り変わり捨てていくものとの間でバランスをとり、敬意と不変性に価するものへの気づきがあります。重要なものとそうでないものの認識、お互いに対して同時に起こる敬意があります。

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日本で私は物質の非重要性に啓発されました。この旅の間、電話を使うためのサービスに余分な支払いをしないことを決めました。そして、Eメールを使うのも制限しました。意外なことに私は、この惑星上で最も技術が進んだ社会のうちのひとつにいながら、技術から一時的に解放されることで呼吸すること、私の周りの楽しいビデオゲームを楽しむことを思い起こしていました。ロサンゼルスの寝室に戻った時、限られた自分の持ち物でさえ異質ながらくたに感じられました。私は安物や価値のないもの、騒音に圧倒されていたのです。食器棚でも、フェイスブックでも、高速道路でも、メールでも。私はシンプルにしたくてたまらなくなり、ずっと持ち続けていたものをいくつか捨てました。

日本の人々の親切さに対して、快適な領域を超えて冒険させてくれるグローバル社会に対して、日本が夢の中だけでいけるファンタジーのエルドラドではないという現実に対して、これらのことすべてに私が持ち続けているのは、感謝の気持ちです。日本は歩行者にも車いす利用者にもアクセシブルで、素敵な国です。私はこの国にいつかまた戻れることを望んでいます。私の内なる僧を満足させるために。

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