国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)は、障がいのある方も、ない方も、
すべての人にご利用いただける施設です。障がい者が主役の芸術・文化・国際交流活動の機会を創出し、
障がい者の社会参加促進をめざします。施設内には、多目的ホールや研修室、宿泊室、レストランを備えています。
プロジェクト
Big-i主催
2014年 7月 26日 (土)
13:00~15:00
ビッグ・アイ(国際障害者交流センター)研修室
国際セミナー
リーガン・リントン あなたが輝く9のコトバ 講演録
日時:2014年7月26日 13:00~15:00
会場:ビッグ・アイ(国際障害者交流センター)研修室
出演:Regan Linton(リーガン・リントン/米国/女優)
Regan Linton/リーガン・リントン
2002年、南カリフォルニア大学在籍時に交通事故により脊髄を損傷。治療のために中退するも復学を果たし、2004年に同大学を卒業する。その後、クレイグ病院、ヨガ・フォー・ザ・ピープルなどに勤めるかたわら、デンバー大学でソーシャルワークを学ぶ。2010年より、カリフォルニア大学サンディエゴ校演劇・ダンス学科に在籍。俳優として、デンバーポスト紙「オベーション賞」(2009年)、コロラド・シアターギルド「ヘンリー賞」(2008年)を受賞。
みなさん、こんにちは。本日はお越し下さいまして、ありがとうございます。まず、今日ここに私を招待してくれたビッグ・アイに感謝申し上げます。みなさんと、この時間を共有できること、この素晴らしい国を訪れられたことに、とてもわくわくしています。
私の考えや経験をすこしでも共有できることをとても光栄に思います。私の日本語の知識が限られたものであることをお許しください。でも、ここにいる方(通訳さん)が素晴らしい通訳をしてくれるでしょう。
今日は、少しお話しをして、その後に、ちょっとしたパフォーマンスを披露します。最後に、皆さんの質問やご意見を伺いたいと思います。まずは、「DISABILITY」という言葉から始めたいと思います。「障害」という言葉です。
これはたぶん、みんなが理解している言葉です。国際連合によると『Persons with disabilities(障害のある人たち)』という言葉は、あらゆる障害のある人に当てはまる言葉です。『障害が発展する概念であることを認め、また、障害が機能障害を有する者とこれらの者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって、これらの者が他の者との平等を基礎として社会に完全かつ効果的に参加することを妨げるものによって生ずることを認め、(国連・障害者の権利条約全文より)』簡単に言えば、私たちは障害者をなんらかの身体や認知の違いのある人を「特定の人」であると捉えるということです。つまり、誰かを身体的なことや認知的なことで「基準」の枠から外に追い出すのです。麻痺、四肢欠損、聴覚障害、視覚障害、知的、発達障害、自閉症など。
しかし、「DISABILITY」は、ただ単に身体や精神のことではありません。「DISABILITY」は社会に作りあげられた「レッテル」です。私たちは、「あの人は障害者です」といいます。なぜなら、そのひとの実際の身体的な状態や精神的な状態を説明するよりも手っ取り早いからです。さらに、社会的に人を分けやすいからです。
「障害者」のレッテルには多くの前提条件があります。多くの社会では、障害のある人々は犠牲者であると捉えられています。自分では何も出来ない人。他の人に依存する人。能力が欠如している人。
そして社会では、これらの前提条件に特定の判断が伴います。「障害」は悲しいことで、恥ずべきものである。敬遠されるべきであり、社会から締め出すものである。奇妙で、薄気味悪くて、怖い。
歴史を通してみると、障害は過去の罪の結果だとか、まがまがしいものであると言われることもありました。
例えば、中世ヨーロッパのキリスト教では、教会が子どもの身体的欠損は魔術や呪術に母親が関わった結果であると宣言しました。今では、このような見方や思い込み、そして障害についての意見は無知であり、狭い、誤ったものだとわかります。
そんな考え方は、人の違いというものを知らない人たちによって助長されたのです。
そして、わからないことを説明するために物語を作り上げたのです。
残念なことに、人間の無知は恐怖心を伴うことが多く、その説明は、たいていネガティブなものです。
現代は、医学や科学、研究のおかげで、私たちは人間の「違い」を説明できるようになりました。人間の多様性について説明するのに、突飛な物語を作り上げる必要はなくなりました。身体的な、または精神的な相違が、遺伝子や、疾病、ウィルス、また環境的な要因によって引き起こされることを知っています。あるいは怪我や事故が原因なのです。
しかし、人間の「違い」について偏らず科学的に説明できるにも関わらず、障害に対する諸々の偏見は社会に深く根付いています。実際には、ようやくここ100年程で「障害」というものを説明できるようになりました。そして、障害のある人たちが社会に参加し、生きていくことができるようになりました。しかし、偏見といったものは何千年も前から置き去りにされているのです。
国連は次のようにも言っています。「障害は社会に存在し、人に存在するのではない」。つまり、私たちが彼らを「障害者」と呼び、彼らが生きにくい社会を作り上げてきたから「障害がある状況」に至っているのです。
たとえば、ご存知のようにヘレン・ケラーは見たり、聴いたり、話したりすることが生まれつきできませんでした。
なので、周囲の人は彼女を精神的に未熟で、扱いにくいと思い込んでいたのです。しかし、彼女の先生、アン・サリバンはヘレンが感じることのできる手話(触手話)で、上手くヘレンとコミュニケーションをとりました。彼女はあきらめなかったのです。
世間が予測するとても狭い範囲内での行動をとらないと、そういう人は「障害者」とされます。 私は20歳のときにこの事実に気づきました。
私は「ふつう」の子どもとして育ちました。障害はなかったのです。二本の足で歩き、そしていろんなスポーツをしました。人前で何かをすること。見えました、聞こえました、歩けました、そして「ふつう」の考え方をしていました。パフォーマンスをすること、演技であったり、歌ったりすることが大好きでした。子ども時代には、舞台上で様々な経験をしました。
2002年、私はロサンジェルスにある南カリフォルニア大学のカレッジに通っていました。夕食にでかけ、帰り道の高速道路で交通事故に遭いました。私たちの乗っていた車の前で一台の車が突然止まり、私たちは止まれましたが、後続車が時速112キロで私たちの車に衝突したのです。私は後部座席に座っていて、衝撃が最も強かったのです。
私は脊髄を損傷し、胸から下に麻痺が残りました。感覚もなく、動かすことも出来ない状態で、もとに戻る可能性はわずかでした。
リハビリを3ヶ月行い、そこで、まるで赤ちゃんに戻ったように全てを学び直したのです。髪をとかしたくても、腕をあげることができません。ベッドの中で起き上がることも、寝返りを打つことも出来ないのです。
赤ちゃんが成長するにしたがい、ひとつひとつを学ぶように、これまでとは違うやり方で再び学ばなければいけなかったのです。
コロラド州デンバーの自宅近くの素晴らしい病院に通っていても、「私の人生は終わった」と感じていました。障害者としてこの先の人生を過ごすことになるなんて夢にも思っていなかったのです。
小さい頃、大きくなったら何になりたいかを絵で描くときに、一度だって車いすに乗っている自分の姿を絵に描いたことはありません。でも、それが私の今の新たな現実でした。途方に暮れていました。
なによりも、二度と舞台に立つことができないと思っていました。私は何も知らなかったから、障害者は「恐ろしくて」「醜く」「恥ずかしい」ものだという世間の言葉を真に受けていました。
自分の身体のことや失ってしまったものを考えると悲しかったのです。残りの人生をどうすればいいのか、何をどうすれば自分が幸せになれるのかが、わかりませんでした。
そんな中、私が入院している時、友人が「ファマリー」というデンバーにある団体のことを教えてくれました。それは、様々な障害のある俳優たちによってミュージカルや演劇をおこなう劇団とのことでした。
切断、脊椎損傷、パーキンソン病、脳性麻痺、エイズ、色んな種別の身体障害と精神障害。
最初に思ったのは、自分がその中にはいることなど「ありえない!」。私は何も知らなかったのです。障害者というだけで芸術的なクオリティは、それほど高くないと思ったのです。
私は怖かった。この状態がこれからずっと続く新しい現実であることを認めるには心の準備ができていなかったのです。
2年が過ぎました。カレッジを卒業し、少しは自分のことを受け止められるようになっていました。そして新しい身体と社会での現実を探り始めました。
「障害者スポーツ」にトライしました。旅にもでました。それでも、なにか物足りなさを感じていました。「自分はいったい何者なのだろう?」と考えると、まだ後ろめたさや恥ずかしさを感じていたのです。「私はどんなふうに見られているのだろう?」
「もう二度とできない」と思っていたものに未練がありました。特に演じることには。 思い立って、ファマリーの夏のミュージカル作品「ヨセフ アンド アメージング ザ テクニカラー ドリームコート※邦題も同じ」のオーディションを受ける決心をしたのです。
ファマリーは私を出演者のひとりとして迎えてくれました。また私は怖くなりました。居場所がないような気がしました。私は、ひどい事故にあっただけの「ふつう」の人のような気がしたのです。他の出演者たちのように、障害者である自分を受け入れていなかったのです。けれど、私はやってみました。するとすぐに、「『ふつう』なんてとんでもない」と気づいたのです。ファマリーの役者たちは、これまで私が出会った人の中で誰よりも、ユニークで、美しく、素晴らしい人たちでした。
再び、ステージに立つことは簡単ではありませんでした。最初の舞台を忘れられません。家族や友人が客席から観ていることを知っていたので、車いすで踊ることが恥ずかしいと思っていました。馬鹿みたいに見えるのではないかとも思いました。
舞台に立つと、ファマリーの新しい仲間のひとりが隣にいました。彼はかつて物理学の教授でしたが、交通事故で脳を損傷し物事を覚えることが困難でした。
なので、彼は振り付けをほとんど覚えていないし、歌の歌詞も覚えていません。しかし、彼は200%の努力をしてとても愉しんでいました。
彼を見て、私が恐れていたことはなんてばかばかしいのだろうと思い知らされました。
ひらめくかのように、強く悟った瞬間でした。麻痺があることは恥ずかしいことではないと深く実感しました。屈辱的なことでも、恐れることでもなかったのです。それは、これまでなかった「人間である」という実感だったのです。新しい環境に適応しているという実感だったのです。チャールズ・ダーウィンによる、「適者生存」です。「変化し、適応し、残ったものが適者である」という。私は「能力」を奪われたのではなく、「命」を与えられたのです。新しく生きていく道が劣っているという根拠は全くないのです。私の能力は何も欠けていない。ただ多くの人とは違ったやり方でするだけです。
突然、今までの人生のなかでもっとも解放されていることを感じました。自分の人生を実験か土木計画のように受け入れ始めました。私の身体は、単なる道具でした。演劇は新たな手法と新しい道具を使って、なにができるかを発見する自由を与えてくれました。
私は創造的になりました。新しい動き方を見つけました。前へ、後ろへ、横へ、ゆっくり、すばやく、なめらかに、揺れるように。
息つぎをする新しい方法、歌い方、踊り方。
私の周りには同じように、自分たちの身体や生き方に対してどんどんクリエイティブになっていくたくさんの人がいました、自分たちを生かす物語を作り上げていくのです。
耳の聞こえない役者がいますが、それでも歌える方法を見つけました。両腕がない役者は、身体の他の部分を使って着替えをします。目の見えない役者は、簡単に舞台の一方から反対側へ行く方法を考えだしました。 突然、私の身体は、醜いもの、奇妙なもの、壊れたものでなくなり、単にピカソの絵のように抽象的なだけだと感じました。
もう、悲しくもないし、落ち込むこともないし、制限もされることもない。まるで、ふたたび探検できる新しい遊び場を得た子どものようでした。
劇場は新しい発見をさせてくれます、何かを生みだす力を与えてくれます。新しい発見や自分自身のこと、車いすを利用していること、状況がどんどん変化していることが理解していくうちに世の中の多くの人が障害について非常に狭い見方をしていることに気づかされました。 私自身も「人の見方」が変わりました。その人自身や個性により共感を抱くようになりました。どれだけ多くのひとが見ず知らずの人に対して不寛容であるかに気づいたのです。
障害者を主役にした話や、障害者自身によって語られる物語もとてもわずかです。
演劇や映画の物語は、障害のない人たちによって演じられ、語られるので経験に基づいた理解が足りません。障害をテーマにしたほとんどの物語は、悲しくて暗いものです。喪失であったり、医療的な苦難、社会からの疎外、孤立する物語ばかり。あるいは障害による「気づき」や「克服」をする物語です。他の多くの人と変わらずに、ただ生きているという物語はほとんど見当たりません。
私はそんな物語を伝えようと決心しました。舞台で演じ、障害者に対する違う視点を世間に伝えたいと思いました。だから役者を続けようと決めたのです。それは簡単なことではありませんでした。まず、役者というのは人から高く評価される職業ではありません、とくにアメリカにおいては。
「役者」と聞いて思いつくのは、破格な出演料をもらっているハリウッドスターではないですか?「ボトックス注射」とか「スターバックス」だとか、どうでもいいことばかり気にして現実から離れた世界で生きているような人たちです。演劇界の多くの役者たちは芸術をどんなに追求してもほとんどお金にならないにもかかわらず、役者という職業が医者や技術者、経済学者、政治家、教師のようには重要だと認められていません。たいていは、とるに足らない、気楽な人生の過ごし方のように思われがちです。
何よりも、役者という職業は、人と異なることが容易に受け入れられる仕事ではありません。障害者で役者として生活している人はほとんどいません。ほとんどの役者はまるで身体見本として、異なるキャラクターに姿を変えることが期待されています。
当初、私がファマリーに加わったときに感じたように、多くのひとたちは障害のある役者がうまく演じることができ、才能があるなんて思わないのです。
演劇は、人の人生を芸術によって表現する重要な芸術形態であると思います。 存在の意義を見つけ、人生というものを理解する場所です。更なる可能性に満ちたもう一つの世界を垣間見ることができるのです。電子機器やバーチャルな世界での繋がりばかりがはびこる現代で、劇場は依然として人間らしくリアルな世界です。
誰かと繋がるための方法の一つです。このことは大切なだけではなく、難しさを伴います。労力もいるし、リスクも伴わなければならない。内面をさらけ出すことや役に対する誠実さも必要とされます。簡単で薄っぺらなものとは、ほど遠いのです。
私が舞台で役を演じれば、それは、これまで誰もが見たことがないものになるでしょう。 障害のある役者はアメリカにはほとんどいません。だからこそ困難ではありますが、それは多くの人々のものの見方を大きく変えることができることをも意味するのです。
舞台に立つ私は、誰もが「不可能」だと思い込んでいることを目に見える形で表しています。つまり「可能」であることを私は示すのです。私は車いすを利用している役者です。そんなに悪いもんじゃあない。観客が「不可能」「出来そうにない」ものを目の当たりにしたとき、彼らが「不可能」だと思ってきたほかのこともそうではないかもしれないと考え直させることができるのです。
ここで人生において、また舞台の上、そしてそれ以外で自分になにができるのかについて心に聞いてから、私の人生がどのように変わったかをお見せしたいと思います。
(ビデオ上映)
ひとたび、自分の身体についてクリエイティブに考えられるようになってから、私の世界には、様々な可能性と活動が広がりました。舞台の上で、私は女王を演じたことがあります。母親を演じたこともあります。剣を手に闘ったこともあります。
難しい振り付けのダンスもありました。恋もしました。異世界にトランスポーテーションしたこともあります。舞台上では、観客が私をどんな風に見るかを完全にコントロールできるのです。私は自分自身をさらけだして、私を見て思いめぐらせる余裕を与えるのです。そうして、私を見た観客がなにに気付き、考え、感じるかを少しコントロールするのです。それは、私のアイデンティティを確立し、私にしか出来ない物語を語る力を与えてくれるのです。車いすを必要とする人や、他の障害がある人に対する認識を変えることができるのです。もし、私が女王になれるのなら、大統領や首相にはなれるのでは?あるいは、月の上で転がったり、宇宙まで飛んでいけるのでは?戦争を終わらせることができるのでは?世界を救うことができるのでは?可能性は無限です。
ハリウッドでは、しっかりイメージと外観が合致しなければなりません。たとえ、障害のある人へのアメリカ人法のおおきな法的要件があっても、たくさんの差別が存在します。わかりやすい例で言うと、よくあるのが、階段のせいで建物に入ることができないことです。また、車いすに乗っているだけで弁護士になれるほど利口ではないとか、スポーツをする体力がないと陰で思う人もいます。
だから私は何度も落ち込んでしまいます。時々、本当にひとりぼっちになった気分になって、自分が変えようとしているシステムは、あまりにも大きくて何にも出来ないのではないかと思うことがあります。
しかし、一方で、世界が繫がっていることやバタフライ効果というものを信じています。それは、世界の一方で私がしたことが、世界の反対側で共鳴して波及するといったものです。今日、ここに私がいる機会を得たことがそれを証明しています。
事実、人生は過酷なもので、何千年も受け継がれてきた固定概念を変えるには時間が、かかるものです。 だけど、いつか私たちが社会に参加し、違った方法で多くのものを生み出す力のある存在になることは可能だと信じています。
いま出来ないことの評価を下す代わりに、何ができるかということでお互いに価値を認め合うことができるのです。
障害者や障害者と日頃から接点のある人たちにとって、覚えておかないといけないのは、誰もが障害者と接点があるわけではないということです。障害に関する認識は数学の方程式のように複雑です。私は一日で数学を修得することはできないとわかっています。気づきには時間がかかります。私たちの経験や、できることについて知ってもらえるように前進しつづけなければならないのです。
「もし私が役者になれるのなら、ガーナで車いすに乗った子どもはどうでしょう?彼は学校の先生になれるでしょうか?」「目の見えないサウジアラビアの女性は?彼女は自国のリーダーになれるでしょうか?」「いま、この客席で座っているあなたは?」
あなたは世界を変えることだってできるかもしれません。無限です。私たちは、可能性を現実のものだと信じるだけです。後はそれに従うだけです。
障害者というと、ビッグ・アイは障害者に対しての役割を既に担っています。ユニバーサルアクセスが可能な環境を作ることによって、いろんな違いを持った人が参加しているということです。私たちも共存できる環境が作り上げられたなら、共に生き、共に行動できるようになり、もっと生産的に生きることができます。そして情熱を追求することで可能にできるのです。
去年、私が書いた記事で紹介したヒントをお伝えして、締めくくりたいと思います。
1. Do what you love, and what inspires you.
『すきなことを、あなたが元気になれることをやりましょう。』
人生は短いからやりたくないことをして時間を無駄にしないでください。私は演じることや話を作ったり、繋がることが好きなので、役者をしています。演劇というものが昨今のテクノロジー世界では手に入れることの出来ない人とのつながりをもたらしてくれるからです。ですから、あなたが情熱をかたむけられることをみつけて、そして実行してください。
2. If people say you can’t, then show them you can.
『あなたには出来ないと誰かがいうなら、できるところをみせてやりましょう。』
世界中のどこにでもたくさん「出来ない!」という人がいます。しかし、いつもそんな人の言うことを聞いていたら、おそらくいまだに地球は丸くなく平らだとおもっていたことでしょう。
3. If it hasn’t been done, be the first to do it.
『もしそれが誰もやったことのないものであるなら、あなたが最初にそれをやりましょう』
これはとても創造力のいることでしょう。どこかの時点で、だれかが心臓外科手術を初めて行なわなければならなかったのです。エベレストに登ったり、公民権を求めて闘ったり、電子機器を通して人と人が繋がることができるかもしれないと考えたり。最初の誰かになることは、思いもつかないことかもしれないけれど、誰かがやらなければならないのです。
4. Never stop learning.
『学び続けましょう』
あなたが「エキスパート」だとか「すべて理解した」と思った瞬間、それは、自分自身を進歩とか発見から遠ざけた瞬間です。だから、どんなことに対しても好奇心を持って挑戦してください。
5. Always treat other people – and yourself – with compassion and respect.
『人に対するときはいつも(自分に対してもですが)思いやりと尊敬の念を抱きましょう』
あなたがどんな人物であれ、どんな姿であれ、どんな違いをもっていようと関係なく、自分自身に敬意を払わなくなった瞬間、他人もあなたに敬意を払わなくなるでしょう。
6. Don’t allow anyone else to tell you what you should think about yourself – determine for yourself who and how you want to be.
『あなた自身について自分で考えなければならないことを、人に教えてもらわないようにしましょう。どんな人間になりたいのか、どのようになりたいのか、自分で決めましょう』
世界のほとんどがどうにも出来ないことです。けれど、私たちは自分自身どうありたいかということだけは主導権をもっているのです。
7. Seek out resources – people, programs, etc – that will support you in your goals, even if they are on the other side of the world.
『人でも、プロブラムでも、あなたが目標を達成するためにサポートしてくれる手段を探しだしましょう。それがたとえ地球の反対側にあったとしても』
8. See disability as a unique and beautiful.
『障害をユニークで素晴らしい宝物としてとらえてください。』
それは人としての違った在り方や生き方なのです。芸術的で、革新的で、魅力的です!あなたの身体は、世の中を生きるために与えられた才能溢れるものです。たとえ、姿や動作がすこし他と違っていても。だから特別な宝物のようにとりあつかってください。活かして、感謝して。決して憎まないでください。それは、あなたが手に入れたものなのですよ。
9. Never, never, never give up.
『なにがなんでもあきらめないで』
人生は楽ではありません。しかし、歩み続ける限りあなたは進歩します。あなたが誰かに伝えたい言葉は? あなたの10番目の言葉について考えてみましょう。それを誰かに伝えることを怖がらないでください。 あなたはまだ気づいてないのです。誰かの人生を変えることができるかもしれないことを。
Thank you !
≪10番目のコトバさがし≫
セミナーでは、「10番目のコトバさがし」と題し、リーガンが紹介した「9のコトバ」につづく10番目のコトバを参加者それぞれが持ちより、「キラキラ輝くコトバ」を紹介し合いました。
リーガンへの質問コーナーでは、「アイドルになるにはどうしたらよいか?」という微笑ましい質問に「目標があるならあとはやるだけ。やり続けるだけ」と笑顔で答えてくれました。
ここでは、参加者のみなさんが持ちよった「コトバ」を紹介します。あなたが輝く10番目のコトバを、ぜひ探してみてください。
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072-290-0962
受付時間:平日 10:00~18:00