国際障害者交流センター(ビッグ・アイ)

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愼英弘の部屋VOL.7 「視覚障害教師の会の活動と課題」

「視覚障害教師の会の活動と課題」

 視覚障害者とりわけ全盲者が就いている職業はいろいろあるが、最も多くの人が携わっているのは「あんまマッサージ指圧、はり、きゅう」の仕事である。これは「三療業」あるいは「あはき業」と呼ばれている。
 この三療業・あはき業は江戸時代以来の視覚障害者の中心的な職業であり、400年にもわたって視覚障害者の生活を支えてきた伝統的な職業である。この三療業・あはき業以外にも視覚障害者の伝統的な職業としては箏や三味線の演奏技術の指導がある。
 これら伝統的な職業以外にも、さまざまな職業に視覚障害者は携わっており、その職業を一般的に「新職業」と呼んでいる。
 今回は、視覚障害者の新職業のうち、学校における教師を取り上げて、その情報交換等のための組織や、教師を続けるための課題等について述べることにする。

1.公立学校における教師の始まり

 今から120年以上も前の明治時代において、いわゆる「盲人」と呼ばれていた全盲の視覚障害者が学校の教師をしていた実例はある。しかし、それは、現在のように教員採用試験に合格しての採用ではない。校長が優秀だと見込んだ生徒が卒業した後に教師として採用しているのが一般的であった。つまり、教師になりたい「夢」を実現するために、教師になる資格を取得し、教師になるための何等かの試験に合格して採用されるために自らが挑戦して教師になっているわけではなかった。

 戦後になって教育関係の法令が整備され、とりわけ1947(昭和22)年に学校教育法が施行され、その後さまざまな改革がなされて今日のような教育体制になった。公立学校の教師になるためには、教諭免許状を取得し、教員採用試験に合格しなければならない。しかし、教員採用試験は点字での受験が認められていなかった。

 教員採用試験において点字受験が認められていなかったとはいえ、現実には全盲の視覚障害者が教師になっているケースは多々ある。それは、教師をしている者が失明した後も教師を続けている場合や、校長の善意で、教諭ではなく常勤講師として採用されている場合などである。

 このような状況ではあったが、盲学校で高等部まで学び、その後に大学で教諭免許状を取得し、教師になりたいと思った者がいたことは想像に難くない。教師になりたいと希望する視覚障害者の統計がないので、実態を把握することはできないが、いたことは間違いない。

 視覚障害者の教員採用試験が社会問題になったのは、今から半世紀ほど前のことである。

 盲学校の高等部を卒業し、その後、大学で教職課程の科目を履修して、教諭免許状を取得した全盲の視覚障害者が教員採用試験における点字受験の実施を大阪府に願い出た。しかし、すんなりとは認められなかった。本人や支援者の粘り強い運動によって、やっと点字受験が1971(昭和46)年に認められた。それは全国で初めてのことである。そして、見事に合格したが、教師としての正規の採用にはいたらなかった。

 非常勤講師をしながら、正規の教師すなわち教諭としての採用を求めて粘り強く運動を続けた。しかし、常勤講師として採用されるにはいたったものの、教諭として採用されることはなかった。

 やむなく、1973(昭和48)年にも教員採用試験に挑み、再び見事に合格した。二度も合格したのであるからすぐにでも採用すべきとの粘り強い運動が続けられた。大阪府はこの合格者を採用しないまま放置できる状況ではなくなり、正規の教師すなわち教諭として同年9月に採用したのである。こうして、教員採用試験に合格した全盲の視覚障害者の教諭が、全国で初めて誕生したのである。

 このように、公立学校の教師になるための教員採用試験における点字受験の開始は、今からおよそ半世紀前の1971(昭和46)年であり、視覚障害者の正規の教師すなわち教諭としての採用の幕開けは1973(昭和48)年のことなのである。そして、当事者によって切り開かれた新職業としての教師、それになることをめざす視覚障害者が次々と教員採用試験に挑戦するようになるのである。

 

2.全国視覚障害教師の会の設立と活動

視覚障害者になる原因についての実態調査は、管見の限りでは見当たらないので、確実なことはいえないが、およそ次のような状況だといえる。

  1. 戦前や戦中、そして戦後まもない頃は、「はしか」の高熱のために失明することがあった。現に、私の盲学校時代のクラスメイトのうち、戦後まもない頃に生まれた者の3人に1人は「はしか」が原因で失明している状況であった。医学の発達によって、「はしか」が原因の失明は現在では減少している。
  2. 戦後の医学の発達によって超未熟児が生まれても命を取り留め、育つようになったが、未熟児網膜症によって失明することがあった。しかし、光凝固法という治療法によって、1970年代半ば以降になると未熟児網膜症による失明は減少した。
  3. 高度成長期以降は、食生活が豊かになり、いわゆる生活習慣病が増え、とりわけ糖尿病による網膜症によって失明する者が増えている。
  4. 特効薬がなく治療法が確立していない緑内障や、網膜色素変性症等によって、失明する者が増えている。
  5. そのほか、さまざまな事故によって失明している者がいる。

 以上のような状況からして、ここ半世紀ほどの主たる失明原因としては、糖尿病性の網膜症や、網膜色素変性症等の病気、事故などが挙げられる。換言すれば、職業に就いており、働き盛りのときに失明する状況が増えているといえるのである。

 (1)会の設立

 健常者であって教師をしている者のなかにも、さまざまな原因で失明する者がいる。
 兵庫県で公立学校の教師をしていたある人が失明した。本人は失明後も音楽担当の教師として現場で指導にあたりたいと希望した。本人の強い希望により、それは実現した。しかし、中途失明した者が教師を続けるには筆舌に尽くしがたい苦労があることは想像に難くない。
 そこで、その教師を支援することや、情報交換したりすることを目的にした組織の結成に向けて取り組むために、視覚障害者の有志が集まって話し合った。そして、視覚障害者で教壇に立っている教師や、教職を志望する視覚障害学生、支援者らが集まり、大阪の地で「全国視覚障害教師の会」が結成された。それは1981(昭和56)年5月3日のことであった。「完全参加と平等」をテーマにした「国際障害者年」の年であった。
 「全国視覚障害教師の会」の英語の表記は“Japan Visually-impaired Teachers’ Association”であり、略称はJVTである。
 JVTは、今年2022(令和4)年5月3日で、丸41年の歴史をもつ視覚障害教師関係者の当事者団体である。

(2)会の活動

 「全国視覚障害教師の会」つまりJVTの41年間を振り返ると、主な活動や会員数は次のような状況である。
 主な活動は、授業や職場環境の改善のために、毎年3回の研修会を開催している。それは5月、8月、そして12月もしくは1月に開催されている。特に8月の開催は、JVTの総会と研修会をするために一般的には2泊3日で行われている。その開催地は、会員の居住する全国各地を廻って行われている。
 研修会では、さまざまな科目を担当している会員が模擬授業をしたり、視覚障害教師が使えるITの紹介をしたり、悩みごとを解決するための情報交換をしたりしている。
 現に教師をしている健常者が、失明したために学校側から退職を迫られたり、トラブルがおきたりしたときに、JVTは、その中途視覚障害者の支援をしてきた。
 そのほか、会員間の情報交換や親睦のためにメーリングリストを開設し、最近では月に1回のオンライン交流会も実施している。
 JVTの結成40周年を記念して発行された記念誌『ともに働く視覚障害教師たち』によると、JVTがめざす教育は、生徒と教師が全人格的な関係のなかで関わり合い成長すること、また、障害のある者とない者が共に生き、心を通わせる場を創造することである、とされている。
 このような教育をめざしているJVTには、視覚障害教師や教職を志望する視覚障害学生が100人以上も会員になっている。
 40周年の記念誌によると、2021(令和3)年度現在の会員状況は、次のとおりである。
 現職68人、元職30人、教職志望者14人である。
 以上の会員のうち、教職志望者14人を除いた会員の勤務校別の内訳は、次のとおりである。

小学校の現職11人、元職3人
中学校の現職5人、元職5人
高校・高専の現職14人、元職8人
大学・短大の現職5人、元職3人
盲学校・視覚支援学校の現職31人、元職7人
視覚以外の特別支援学校の現職1人、元職3人
研究職の現職1人、元職1人

 以上のことからして、JVTが、現実に教師をしている視覚障害者や、これから教師になろうと志している視覚障害学生にとって、いかに心強い存在であるかが判るであろう。全盲の視覚障害者が教師として授業をしたり、指導にあたったりするには筆舌に尽くし難い苦労がある。その苦労を少しでも減ずるために、JVTは大きな力となり、関係者に勇気を与えてきたことは改めていうまでもないだろう。 

3.JVTの存在意義と教師を続けるための課題

 前述したように、2022(令和4)年5月3日は、JVTが結成されて丸41年になる。結成の40周年記念式典や講演会がこの日に開催された。本来ならば、会員が一堂に会して、対面形式で記念の会をするはずであったが、新型コロナウイルス感染症の拡大状況が収まらないために、オンラインでの開催となった。
 記念講演をするように私に依頼があった。講演時間は30分である。「JVTの存在意義と、教師を続けるための課題について」と題して講演をした。その概要は以下のとおりである(当日は時間の関係で話し切れなかったことを少し付け加えている)。

 (1)JVTの存在意義

 これまでに述べてきたように、JVTは視覚障害教師や、教職を志望する視覚障害学生等によって組織されている当事者団体である。そのJVTつまり「全国視覚障害教師の会」の存在意義として、少なくとも次の4点を挙げることができる。

  1.  視覚障害者の教師が学校で教育に携わっていることを、社会の人々に知らしめていること。
     社会の人々のなかには、障害者は働いていないと思い込んでいる者がいる。それは、往々にして、働く意思はあっても働く場所がなかなか見つからないという現実があることを認識していないためであるといえる。障害者が働いている状況が、テレビや新聞等で報道されたりすることによって、社会の人々の意識は徐々に変化していくのはいうまでもない。JVTの存在は、マスコミ等を通して知られている状況がある。
     全盲の視覚障害者が、教諭免許状を取得して、難関の教員採用試験に合格したとしても、採用する側にとってはとまどいや不安があることは否めない。そんなときに、JVTの存在を知った者(雇用する側)にとっては、天の助けとなる。なぜなら、現実に全盲の視覚障害者が教師として授業を行い、生徒の指導をしていることを、JVTを通して知ることができるからである。
     そのことによって、全盲の視覚障害者を教師として採用しようとする側の不安を取り除き、安心感を与えることは想像に難くない。よって、JVTを通して、視覚障害者の教師が学校で教育に携わっていることを、社会の人々に知らしめてきたことは、JVTの存在意義の一つとして挙げることができるのである。
  2.  視覚障害者の新職業の一つとして、教師への道があることを視覚障害生徒に知らしめるとともに勇気と将来への希望を与えていること。
     前述したように、1971(昭和46)年から教員採用試験において点字受験が大阪で始まってから、各地で教員採用試験における点字受験の実施を求める声が上がるようになった。そして、教員採用試験の点字受験によって、試験に合格する状況が見受けられるようになった。
     教員採用試験に合格した視覚障害者が教師に採用されたり、教壇に立っている教師が中途失明しても教師を続けようとしたりする者のなかには、JVTの会員になる者がいる。そのような状況はJVTの活動を通して広く情報提供がなされている。
     このようなJVTの活動は、視覚障害者の新職業の一つとして、教師への道があることを視覚障害生徒に知らしめてきた。よって、視覚障害者に教師になるための挑戦への勇気と将来への希望を与えていることは、JVTの存在意義の一つとして挙げることができる。

  3.  教育現場に復帰しょうとしている中途視覚障害教師や現に教育現場で教師をしている視覚障害者の悩みの相談や、教育方法等に関する情報交換の場になっていること。
     前節のJVT活動の状況のなかで述べたように、JVTの研修会では、さまざまな悩みを解決するための情報交換が行われたり、模擬授業を通して教育方法についての意見交換や情報交換をしたりしている。それによって、同じような悩みをもつことが判ったり、その悩みを解決するための手立ての情報交換がなされたり、模擬授業を見学して自分の授業にも取り入れたりするなどの有益な場所になっている。
     もしもJVTのような組織がなかったならば、悩みを解決できないまま精神的圧迫を感じながらの教師生活を続けなければならず、また、視覚障害教師に適した教育方法を思い付かずに、悩みや不安がより深刻な状況になってしまうかもしれない。よって、教育現場に復帰しようとしている中途視覚障害教師や、現に教師をしている視覚障害者にとって、JVTは極めて重要な情報交換の場であり、それはJVTの存在意義の一つとして挙げることができる。

  4.  視覚障害教師を雇用しようとする側に対して、先人の実績の情報を提供することができること。 
     前節で述べたように、JVTの会員には、いわゆる地域校である小・中・高の学校等で勤務している(していた)視覚障害教師が、現職30人、元職16人いる。盲学校や特別支援学校の現職は32人、元職は10人いる。これだけの視覚障害教師が勤務していること、勤務してきたことの実績は極めて重みがあることは否めない。
     視覚障害教師を雇用しようとする側にとって、不安状況があることは否定しようがないだろう。それは、視覚障害そのものの特性についての認識に乏しいことや、どのようにして接していいのか判らないという知識不足からきているといっても過言ではない。さらには、「目が見えなくて教えることができるのか?」「児童・生徒の指導ができるのか?」などの不安もあるのだろう。健常者の教師を採用するときには、不安がほとんどないかのように振舞っている。何ゆえに視覚障害者を教師として採用するときには、このような不安に取り付かれるのであろうか。それは、視覚障害者について、ほとんど何も知らないことからきていると考えられる。
     これらの不安を払拭するには、言葉による説得や、意識改革を求める申し入れだけでは困難であることは殊更にいうまでもないだろう。これらの不安を払拭するには、何よりも先人の実績である。すなわち、視覚障害教師が現実に勤務している、勤務してきた実績である。
     JVTには前述した視覚障害教師の実績の情報が集められている。その実績を視覚障害教師を採用しようとする側に提供することは、不安を払拭するための大きな力になり得る。よって、視覚障害教師を雇用しようとする側に対して、JVTが先人の視覚障害教師の実績の情報を提供できることは、JVTの存在意義の一つとして挙げることができるのである。

 40年以上も続いているJVTは、以上述べてきたような存在意義をもっているのである。

 

(2)教師を続けるための課題

 視覚障害者が教師になり、それを永く続けるためには筆舌に尽くし難い苦労があることや、筆舌に尽くし難い努力がなされていることは想像に難くない。視覚障害教師が、教師を続けるためには、少なくとも次の4点の課題があることを挙げることができる。それらの課題をいかにして解決するかである。

  1.  定年退職するまで、教師生活を有意義にまっとうするためには、どうすればよいのか。
     この課題を解決するには、さまざまなことが考えられるだろう。ここでは3点を指摘しておく。
     一つ目は、児童・生徒・保護者・同僚から信頼されることである。健常者であろうが、障害者であろうが、教師たる者は児童・生徒という指導対象者とその保護者や、同僚から信頼されなければ、教師という仕事をまっとうすることは困難である。その理由は、殊更にいうまでもないだろう。
     二つ目は、教師としての指導力に長けていることである。担当科目に関しての豊かな知識を身に着けることや、理解しやすい授業内容を工夫するなどして、指導力を発揮することは、すべての教師に必要なことである。それは視覚障害教師についても例外ではない。指導力のある教師は、一つ目で述べた信頼される大きな要因にもなる。
     三つ目は、良き人との出会いがあることである。全盲の視覚障害者が自分一人だけの力で教師の仕事をやりきることには困難が多すぎる。その困難を少しでも少なくするためには、晴眼者(健常者)の手助けが必要である。さりげなく手助けしてくれたり、困ったときには力を惜しむことなく手助けしてくれたりする人がいれば、こんな安心なことはない。そのような良き人と出会えるかどうかは教師仕事をまっとうする上で重要な要素である。良き人は探して見つかるものではないだろう。自分自身の日頃の行いが、良き人との出会いをつくり出すものだと私は考えている。

  2.  雇用主に対して「合理的配慮」の提供をさせるためには、どうすればよいのか。
     この課題を解決するには、さまざまなことが考えられるだろう。ここでは2点を指摘しておく。
     一つ目は、「合理的配慮の提供」とは何かを、雇用主等に認識させることである。そもそも「合理的配慮」についての認識が充分とはいえないのが一般的状況である。「障害者権利条約」で規定されている“reasonable accommodation”を「合理的配慮」と訳しているが、訳語そのものが適切であるとはいえないために、本当の意味が認識されにくいのである。適切な訳語は「合理的調整」や「分別のある調整」、「合理的便宜」などである。雇われている側と雇っている側とで、お互いに話し合って納得できるような「調整をする」というのが、その内容であることを雇用主に認識させる必要がある。往々にして、障害のある児童や生徒に対してはさまざまな環境整備をするのに対し、雇われている障害者に対しては環境整備が不充分であることは多言を要しない。
     二つ目は、いわゆる「合理的配慮の提供」の一つとして指導用教材の保障の問題がある。晴眼者(健常者)の教師には指導用教材が当然のごとくに準備されるのに対し、視覚障害教師には点字の指導用教材を準備すべきではあるが、それが充分になされているとはいい難いのが現状である。その保障を実現させるためには、雇用主側への働きかけしかないだろう。

  3.  受け持つクラスに視覚障害児以外の障害のある児童や生徒がいるときには、どうすればよいのか。
     たとえば、聴覚障害児や、その他の障害児を受け持たなければならなくなったとき、視覚障害教師はどのように指導すべきなのか。おそらく、そのような状況になることはないかもしれない。学校側として、視覚障害教師に聴覚障害児童や生徒を担当させることはしないだろう。しかし、それは断言できないのであるから、すぐには答えを出せるようなものではないが、検討しておく必要はあるだろう。

  4.  学校現場の同僚との関係を良い状態に保つには、どうすればよいのか。
     この課題を解決するのは、簡単なようで相当難しい。視覚障害教師にとって同僚の支援は欠かせない。自分自身の力だけでやりきるには限界がある。どうしても周りの人の手助けが必要になる。その手助けをしてくれる身近な者といえば、やはり同僚であろう。
     同僚との良い関係をつくる方法としての方程式はない。勤務先の学校の状況や、年齢の違い、教師歴の長さ等々によって状況は違ってくるだろう。決して卑屈になる必要はないが、同僚との関係をより良くなるようにする努力は必要である。同僚との良い関係をつくることは、視覚障害教師にとって、教師を続けることができるかどうかの試金石であるといっても過言ではない。

 以上の課題を一つでも多く解決することができればできるほど、視覚障害教師は精神的苦痛を感じることなく教師を続けることができるだろうと私は考えている。

全国視覚障害教師の会のホームページ

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